八百冨社
幸田町坂崎御屋敷10
慶長19年 天神山に鎮座のところ 大久保彦左衛門陣屋の守護神としてこの地に移し祀る。以来明治維新まで大久保家が祭祀を執り行う。
春日神社
岡崎市若松町北之切32
かつてこの土地に土着した郷士一族が藤原氏の子孫であり この地を開くにあたり 氏神である春日の大神を奈良の春日大社にいただき祀るとされる。
馬頭神明宮
岡崎市美合町道ヶ根65
室町時代末期 小豆坂の合戦の頃 この地は馬頭野・馬頭原と呼ばれており その折には既に鎮座し祀られたものとされる。
三村神社
幸田町長嶺神宮司5
日本武尊東征の際 この地に立ち寄り暫く滞留されたことを偲び その子鏡別王がこの地に住む折 父日本武尊を追慕し 京ヶ峰山頂に祀る。写真は里宮。
鷲田神明宮
幸田町菱池鷲取1
かつて日本三大樹と称される楠があり ここに住む大鷲が近郷に害を加えるも 県主鎌田兵衛尉の臣大伴忠芳がこれを退治し この報賽として天照大御神を祀る。
御鍬神社
岡崎市針崎町東カンジ5
「針崎」は「 墾(はり)崎」で 矢作川に臨む 古き開墾の地であり こに伊雑大神を迎え祀る。その後、江戸時代中期に御鍬信仰をうけ 御鍬神社と称す。
社宮司社
幸田町久保田社口25
鎌倉時代初頭 この地の聞入寺山門の守護神として 社口神を祀る。社口神は猿田彦命を表し 境界神であり 地域の防塞神。
綿積神社
岡崎市柱2丁目10-1
この地は矢作川に臨み 海洋交流盛んな地とされ 海神を祀り かつては八大竜王社と称す。室町末期一向一揆の折 徳川家康戦勝を祈願する。
戸崎神明宮
岡崎市戸崎町原山23
室町時代後期、この地には武将成瀬藤蔵・榊原武兵衛の屋敷あり この邸内に熊野権現を祀る。後に天照大御神を合わせ祀り 神明宮と称す。
稲荷神社
幸田町荻下49
この地は古くより稲荷山と称し 京都伏見より稲荷大明神を勧請して祀る。後に江戸時代中期伊勢より伊雑大神・豊受大神を勧請し 改めて稲荷大明神と称す。
熊野神社
幸田町菱池矢尻46
鎌倉時代 鈴木某紀伊国よりこの三河にきて この地を開拓する。数年して住民も増えたことにより 産土神として熊野権現を迎え祀る。
桑谷 日吉神社
岡崎市桑谷町宮ノ入3
松平広忠の長男、松平右京太夫忠政が桑谷村在住の頃、天正 7年( 1579)岡崎城内より日吉大神を移し 社殿を再建し祀る。
美合 日吉神社
岡崎市美合町西屋敷150
鎌倉時代 この地の豪士生田四郎兵衛 紀州熊野権現を勧請し 室町後期に現在の地に遷し山王宮と称す。明治元年日吉神社と改称する。
彌栄神社
幸田町芦谷宮ノ根15
創立は古く 町南東の丘陵地が元宮とされる。室町末期 地頭内藤重政が現地に遷し守護神として牛頭天王社と称す。明治改制により彌栄神社と改称する。
竜泉寺神明宮
岡崎市竜泉寺町西柄栗9
古くは御鍬社と称し 竜泉寺の境内に守護神として祀られた。足利尊氏叔父の日静上人により竜泉寺が天台宗から日蓮宗へと改宗の折 神明社と改称する。